母子避難の現実


私は今、茨城から愛知県に母子避難しています。
母子避難をすることになって1年近く、思いがけず”被災者”となり、支援される側になりました。

周りの方々にたくさん親切にしてもらい、感謝いっぱいな反面、
時に「?」と考えさせられる体験もしています。

被災者の現実、なかなか伝わらないですが、私の感じていることを伝えた方が、
他の被災者の方にとってもいいのでは?と母子避難の現実を少し書かせていただきます。

私だけでなく、今までお会いしたたくさんの被災者の方についても加えます。
長文ですが、読んでいただけると嬉しいです。

私の場合=自分の実家に3月末より幼い子ども2名と3人で居候。
10月に両親が家の住み替えのため、同じ愛知県内の別の市へ転居。
全く初めての土地で、また一から生活を始めました。1年に2回の引っ越し。

「実家に居候している」と伝えると、「実家だから楽だね」と言われます。
確かに、家事はかなり母にしてもらい、感謝の気持ちは強いです。

ただし、もともと2世帯住宅用に建てた家ではないので、何かと気を使います。
乗り物おもちゃが大好きな子供たちですが、室内で乗るには、部屋が痛むのでは?
と乗り物はしまったまま…。

子供たちが騒ぐと、自宅にいるより「静かにして!」と怒る回数が多くなります。

料理は、当初私もしようとしましたが、狭い台所に2人立つと、何かと大変で、
結局ほとんど母にまかせることに。

食材については、私から母に話をし、かなり注意してくれていますが、
食材選びなど苦労させてしまっています。
(母は、田中優さんの講演会に連れて行ったら、いろんな話の理解度がさらにUPしてよかったです)

父、弟からは、放射能の内部被曝の話に対して、
「そんなこと言ったら、食べるものないだろう」と言われ、お互い、気まずくなったことも。
母子避難者の方で、居候先の家族が食材にこだわらず、苦労している方も多いです。

実家だと子供の面倒を見てもらえる…とも思われがちですが、
長男はともかく、次男2歳は、私がいなくなると泣いてしまい、無理です。

また、常に居候している身だと、さらに子供を預かってもらう…というのは、頼みづらいです。
今までお願いしたのは、歯科に行った1時間のみ。

美容院も託児付か、キッズルーム付、もしくは夫が来てくれている間に。
それ以外は、24時間子供と一緒。 これ、けっこうつらいです。

夫が単身赴任と話すと、
「旦那さん1週間に1回くらいは会えるの?」と言われます。
茨城→愛知まで、片道4時間半。交通費約3万。1月に1回会えるかどうかです。

他にも、福島だと5時間かかるとか、郡山、千葉から深夜バスとか、皆さん苦労されています。
深夜バスだと、ほぼ半日かかるので、旦那さんが疲れてしまうとも。

東海地方に避難している方は、東海地方に実家がある方が多いです。
もしくは、旦那さんが新幹線で会いに来やすい場所として、選んだ方もいらっしゃいます。
そういった方は、全く知らない土地で賃貸物件を探し、母子のみで生活しています。

家を建てたため、避難したくても家を処分することもできず、
住宅ローンを払いながら母子避難という方も多いです。
ローン返済のため、旦那さんは転職もできないと言い、
避難することができないという方も。

「なんで家を買っちゃったんだろう」とため息をつく横で、私は何も言えませんでした。

車を持っていないので、移動に苦労している方も。
(特に東京の方は車に乗る機会が無いので、免許を持っていない方もいます)
電車移動も慣れない場所なため、乗換に困る。
母子避難は小さな子供連れの方多いので、子連れでの電車移動にも苦労しています。

パソコンを持たず、携帯電話だけで、ネットの情報をとれない方、
SNSなどやったことが無い方、SNSを旦那さんに止められている方も。

→交流会などに誘っても、会場に行くのが大変です。
できるだけ丁寧な説明が必要です。
また、できればわかりやすい場所が嬉しいです。
紙媒体など、アナログな情報伝達が、役立つことも多いです。

私の場合、意外と面倒なのがプリンターが無いこと。
父の部屋にあるが、次男がいたずらするので入りづらく、頼めません。

ネットプリントすればいいのですが、まめにもできず、
そんなこんなで、データ情報があいまいなことが多いです。
(買えはいいのですが、茨城に買ったものがあるので…)

幼稚園で、同級生の家に遊びに行かせてもらったが、その方は全く食べ物に無頓着。
ちょっと不安なお菓子と乳飲料を出され、なんともいえない気持ちになりました。

知ってる方に放射能の話をするのも難しい中、
慣れない方にいきなり放射能の話はさらにしずらいです。

お返しに家に呼びたくても、居候だとそれもできません。悲しくなりました。
(後日、外の児童館などで遊んでくれるママ友を見つけたので、気持ち的には楽に)

私は周りの方にも「避難してきている」と言っていますが、
そう言わずに「転勤してきている」と話す方も多いです。
それだけ放射能の問題は難しいということなのです。

私は夫をはじめ、周りになんとか理解していもらえているが、
「早く戻ってこい」と言われ続けて、判断に困っている方も多いです。

母子避難して、旦那さんが愛知で転職しようとしても
仕事が見つからず、避難をあきらめようと悩んでいる方もいらっしゃいます。
そして、戻られた方も。

また、避難しているといっても、身内が原発関係の仕事をしているため、
反放射能はOKでも、反原発はNGという方もいらっしゃいます。

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ざっと思いついたことを書いてみました。

決して、母子避難は大変!という意味ではなく
避難と言っても、本当に様々なケースがあるということが、伝わるとうれしいです。

この状況の中、私が嬉しかったこと。
twitterで同じ市に在住のMさん(面識なし)に連絡したところ、
数回のやり取りの後、ご自宅によんでいただき、
話がはずみランチまでごちそうになってしまったこと。

そして、現在の土地に引っ越すとSNSに書き込みしたら、
Tさんが見ず知らずの私にその土地についての情報をメッセージしてくださったこと。

本当に本当にうれしかったです。

そして悲しかったのは
「しっかりしてください」
と言われたこと。

この経験から、この1年私がしていたことは、被災者の方に
情報や出会いの場所を伝えること。

ネットが見られない人に、交流会の情報をメールしたり、
twitterにて愛知に避難希望の方を見つけたら、声かけてみたり…。

何気ない一言が、とても嬉しい時もあります。

もし皆さんの周りに被災者の方がいらっしゃったら、
ちょっとここに書いてあることを思い出して、声かけてもらえたら嬉しいです。

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タグ: 体験, 被災地, 避難