被曝国がなぜ 原発大国になったのか
~「原子力平和利用」とヒロシマ~
日 時: 11月23日(祝) 午後1時30分~4時30分
場 所: 伏見ライフプラザ 12階 第1研修室
(地下鉄伏見駅 6番出口南へ5分 中消防署ビル)
講 師: 広島平和研究所教授 田中利幸 さん
主 催: 国民保護法制を考える会
参加費: 1000円
原発の代名詞である「原子力の平和利用」。
これは1953年のアイゼンハワー米大統領の国連演説「アトムズ・フォー・ピース」が土台となった。
原爆の生傷がうずく当時の日本にも、それは持ち込まれた。
しかも広島が舞台となった。
54年、米国は広島で原発を建設することを提唱した。
東京では米国主導で「原子力平和利用博覧会」が開催され、56年には広島でも開かれた。
田中教授は「被爆者らに平和利用への賛意を語らせ、それを逆手にとって一切の疑問や批判を封じた」と話す。
1955年の第1回原水爆禁止世界大会の広島アピールの中でも、「原子力を人類の幸福と繁栄のために用いなければならないとの決意を新たにしました」とある。
日本の原水爆禁止運動にかかわった多くの市民たちも、「平和利用」の内容を知らないままに、全面的に受け入れてしまっていた。
「フクシマ」後、「原子力の平和利用」を問いなおす動きが広まっている。
今、田中教授は「原子力の平和利用とは何であったのか」という根本問題について、考えることを呼びかけている。
連絡先:西英子(052)808-3241
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